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 HP「風景写真家 佐藤尚」 ひらめき


2016年03月11日

東日本大震災から5年


震災後、石巻の風景。
クリックで画像は大きくなります。


石巻
2012年2月
激しい海 浮島現象


石巻
2012年2月
北上川


石巻
2012年7月
野焼き


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2012年8月
復興への道


石巻
2012年10月
彼岸花に想う


石巻
2012年11月
海の表情


石巻
2013年4月
桜は咲く


石巻
2013年8月
やがて実る


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2015年03月11日

東日本大震災から4年


長野県の戸隠で何度もやってきた農作業体験では
地域の住民同士の交流の大切さを感じてきました。

また、東日本大震災の発生では
地元の隣人同士の交流の必要さを感じました。

その後、被災地を応援する気持ちで東北を訪ねましたが、
何度か足を運び、
被災地でお仲間同士が助け合って頑張っておられる人たちを見ているうちに
よその土地のことより自分の土地のことをしっかりやろうと
私自身のことを考えるようになっていきました。

写真ワークショップ「里ほっと」を “地元” で始めました。
地域の人たちの交流を作ろうと思いました。
私自身の友達作りということも含んでいます。

そして、被災地へ行かなくなりました。

でも、東日本大震災や原発事故を忘れているわけではないのです。

私の亡き父は、石巻が本家。
私の母は、福島市が実家。
私にも東北の地が流れています。

また、風景写真家となってから
東北地方の自然や人々は本当に私によくしてくれましたのだから。

東北の被災された方や避難されている方の皆様が
早く安心して暮らせるようになることをいつも祈っています。
私は応援し続けていきます。

そして、
あれから少しずつ変わってきた私自身、
またいつか被災地に行って写真を写すことと思います。
私には写すことぐらいしかできませんし。

東日本大震災から4年目の日、
たまたま次回「里ほっと」のコース決めをしていました。
「“地元” の仲間」の喜ぶ顔が見たいから。


見沼田んぼ

画像は、今日の地元の風景。
埼玉県さいたま市の見沼田んぼ。
冷え込んだ朝、紅梅咲く畑には霜が降りていました。





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2014年03月12日

長野県北部地震から3年

長野県北部地震は、東日本大震災の翌日に発生しました。
新潟県との県境の栄村を中心にして震度6強の激しい揺れが起き
本震発生から1時間のうちに、震度6弱の余震が2度も繰り返されたものです。
幸いにして死者は出ませんでしたが、
家屋の倒壊、線路の寸断、国道の不通など被害は大きかったのです。
けれど、その豪雪地帯で起きた地震はほとんど報道されていませんでした。
雪が溶けてから被害がわかってきた感じもありました。
雪国であるためなのかわかりませんが、
復旧には時間がかかっていました。
家屋もしばらくずっと壊れたままでした。
国道の橋を治すのに2年がかりで工事していたような気がします。

今日で3年。
今は、生活している方たちは普通の暮らしに戻っているのでしょうか。

大変な思いをされた方たちががいることを忘れないようにします。

栄村の地震の画像検索
http://ow.ly/uuqtX



六地蔵

画像は、栄村の隣町の、長野県飯山市の六地蔵。
地震直後に揺れの影響で向きを変えたようですが
お地蔵さんが一斉に向く方向を変えて
飯山の被害を少なくしたとか言われているようです。

飯山市の六地蔵の説明
http://www.iiyama-ouendan.net/watch/2012/06/1634.php




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2014年03月11日

東日本大震災から3年

あれから、3年がたちました。
縁のある東北には何度も行きました。
震災翌年、2012年4月に撮影した桜を紹介します。
桜の花は人たちに安ぎを与えるようにたくさん咲いていました。
街を壊し人の命を奪った震災でしたが
生活が大変な中を人たちは復興に向けて頑張っていました。
いつも足を運べるわけではありませんが、
これからも東北のことを思い風景写真家ができることを
写真を通してやっていきます。

多くの人たちが安心して暮らせる日が早く来ることを、いつも祈っています!



画像はクリックで大きくなります。


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宮城県松島町 朝霧が晴れる松島


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宮城県石巻市 日和山公園で花見


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福島県広野町 桜樹林盛花





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2013年03月11日

東日本大震災から2年


石巻

石巻

今年の冬に撮影した宮城県石巻の風景です。

石巻は大津波の被害を受けましたが、
昔からの変わらない豊かな自然があります。
その美しい風景を写す目的で
私はゆっくりしたペースで通っています。
最初は、震災1年目の12月だったので、やっと通って1年ちょっとです。


東日本大震災から2年の日を迎えました。

東日本大震災で被害を受けた地域の方々が
早く安心した生活ができるようにいつも願っています。


石巻





CANON EOS 5D Mark III+EF28-300mm F3.5-5.6 IS USM

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2012年11月16日

石巻の小渕浜の漁師さん

これまで、宮城県石巻市には、
12月、2月、4月、7月、8月、10月、11月と、
7回行って写真を写してきました。

牡鹿半島の小渕浜を応援している
広告デザイナーの佐藤ゆきひろさん(→小渕浜通信 )との出会いがきっかけです。
よろしかったら、昨年の12月に最初に訪ねた際のブログ記事をご覧下さい。
http://satophoto.sblo.jp/article/52386234.html


今回の取材でも訪ねました。
撮影以外に、小渕浜の漁師の方にお会いするのも目的でありました。

というのも、戸隠にいる先輩写真家の小川秀一さんから
「お米を石巻に持って行っていいよ」と
自分の田んぼで作ったお米1俵をいただいたからです。

まだまだ被災地は復興は進んでいません。
小川さんは、全国には応援している人が多くいることを伝えたかったんだと思います。
また、私が支援目的で撮影に通っていることに力を貸してくれたんだと思います。
復興には、小さな気持ちでもいいから
多くの人が関わっていくことは大事だと感じています。

その支援米は、漁師の後藤幸市さんにお渡ししました。
後藤さんは、震災で家や船を失ってしまいました。
けど、明るく、震災後にたくさんやってきたボランティアの人たちに感謝をし、
そして、出会ったその人たちが今でも遊びに訪ねてきてくれることを
うれしそうに話されていました。
今度もいついつに大勢来て泊まっていくんだと。
お米はそんな時に利用していただけることになりそうです。


「幸市さん、ぜひ、海から牡鹿半島を写させてください。
また、漁の様子も船上で写させてくださいね。」


私は、石巻の風景写真を撮り続けて、
復興に協力していこうと思っています。
何かPRをしようとした時に、美しい石巻の風景写真が絶対に必要になるんです。



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posted by satophoto at 11:18 | TrackBack(0) | 東日本大震災

2012年09月11日

牡鹿半島の猫

小渕浜

宮城県石巻市牡鹿半島の小渕浜のジロウちゃんです(たしか…)。
震災直後からいなくなってしまったけど、少ししてから港に戻ってきたそうです。
その後は漁師のみんなから採れた魚などを食べさせてもらって暮らしているようです。
以前は食べなかったパンも食べるようになったようです。
ジロウちゃんは育ったこの土地で頑張って生きています。
写真の、後ろに写っている二人が飼い主です。
今は仮設住宅で暮らしているため猫を飼えないそうです。
この日はとても暑く、ジロウちゃんは、暑い暑いと日陰を求めて移動していました。
お二人の近くで。
今年8月撮影です。
今日で、震災から1年半となりました。



posted by satophoto at 09:23 | TrackBack(0) | 東日本大震災

2012年09月02日

牡鹿半島の海はキレイ

夜の間、雨が降っていました。
朝に止み、東の方が明るくなってきたので、
ベランダに出て西の空を見上げると虹が出ていました。
一昨日はブルームーンを、今朝は虹を。
美しい空を見て何か良いことがあるような気持ちがしています。

昨日の夕方、ベランダから外を眺めていると
隣の家の屋根の上を赤トンボが数匹飛んでいました。
蚊柱になっている小さな虫を捕まえようと飛び続けて食べていました。
そのトンボが邪魔なのか、スズメバチがトンボを追い掛け回していました。
じゃれ合って遊んでいるように映り、
ほのぼのとした気持ちになりしばらく見ていました。

埼玉の日常の中にも自然があることを感じさせてくれるシーンでした。


牡鹿半島

8月の、宮城県石巻市の牡鹿半島の海です。
撮影のため、裸足になって波打ち際まで進んでいきました。
水が透き通っている!冷たくて気持ちいい!ありゃ、クラゲに刺されたぞ!
海の中に入り楽しくなりました。


「海が憎たらしいことあったけど…、…けど、海キレイじゃないですか。キレイなものはやっぱりキレイなんですよね。」

半年前に会った、牡鹿半島に住んでいる人の言葉が思い出されました。
ホント、海ってキレイだなあと感じました。


スバラシイ自然を五感でいつも感じながら過ごしていたいですね。


雨のおかげでちょっと涼しくなったかな。
猛烈な残暑も終わりなのか、それとも一休みなのか、…どうなんでしょうね。



posted by satophoto at 09:20 | TrackBack(0) | 東日本大震災

2012年08月20日

石巻の風景写真

石巻

宮城県石巻市にきました。

道は途中までのまま。
電線は途中までのまま。
このあたりは、津波の被害をいっぱい受けたあたり。

けどね、2〜3週間前には何も草が生えていなかったところが
いっぱい緑に覆われていました。
うれしかった〜。

オリンピックで日本人選手がたくさん大活躍でした。
多くの人たちが喜んでいましたね。
今日はメダリストたちのパレードが東京銀座でありました。
すごかったですね。

日本の大地も元気になってきているよう感じました。

ひとりひとりが頑張っていきましょう。



posted by satophoto at 21:22 | TrackBack(0) | 東日本大震災

2012年08月08日

宮城県石巻の風景写真

石巻

車で走っていると、遠くに野焼きをやっているのが見え、
その場に行って挨拶をしてから野焼きの撮影をしました。
広い面積の作業を終えて一休みしている方たちです。
作業は大変でしょうがたくさんのお仲間とのおしゃべりが楽しそうでした。
夏らしい強い日差しを感じる午後でした。

宮城県石巻市は、東日本大震災で大きな被害を受けた場所です。
これまで何度か訪ねて風景をカメラに収めてきました。
街や港の復興はまだ途中ですが、人々の活気が以前より強く感じられるようなってきました。

今の風景写真を撮っていって、応援し続けたいと思っています。

7月26日撮影です。


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2012年08月07日

福島県相馬市の風景写真

相馬市

福島県相馬市の海岸線近くの風景です。
住宅地であったであろう場所一帯が全て荒地になっていました。

ここは人家の庭だった部分でしょうか、ヒマワリが花を咲かせていました。

以前に咲いた花の種が落ちていて、今年にまた花を咲かせたのかなあ。
それとも春に撒いた種が花を咲かしたのかなあ。
けど、咲いた花を見る人はいません。
元気な花を見てとても切なくなりました。

今回、福島県の海岸線を走り相馬市から南相馬市を見てきましが、
周辺では、
津波で流された車がまだ放置されたままになっていました。
何も作付けされずに草地になっている農地が多く見られました。
幹線道路沿いの店舗は壊れたまま営業していないところばかりでした。

あれから、1年半も経っているのに。

どの被災地でも早く安心できる生活ができることを強く願っています。



松川浦

相馬市の代表的な観光地に松川浦があります。
多くの風景写真家がカメラに収めてきたところです。
海苔漁が再開されたのか、
冬以降に来れば、以前のような
水面に海苔ひびが連なる景色が見れると聞きました。
ぜひ朝焼け風景を写してみたいです。


2枚とも、7月29日の撮影です。



posted by satophoto at 10:00 | TrackBack(0) | 東日本大震災

2012年07月25日

石巻の写真撮影

夕方になり青空が少しだけ見えました。
明日の天気は期待できるのでしょうか(梅雨明けはいつ ^^)。
いやいや、予報では晴れるのは明後日からなのですがね…。

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宮城県石巻市にやってきました。
前に来たのは4月の桜が咲くころでした。
12月、2月、4月、そして今回の7月、石巻は震災後4回目の撮影です。

一日を通してロケハンをしました。
震災被害の大きかった街も、徐々に、
邪魔な物はどかされて、新しい建物ができてきて、
景色は変わってきていました。
この2カ月でずいぶん変わったように思えました(変わっていないところもあります…)。


・青い田んぼの広がる風景が目にも心にも優しく感じました。

・家屋があったであろう場所に咲くひまわりが切なく、野の花を見て初めて涙しました。

・場所を訪ねると「散歩の途中だから連れていくよ」と、人の親切がうれしかったです。

・石巻の訛り言葉は魚沼の訛り言葉より難しい。慣れれば同じ言葉なんでしょうね。

・幼いころに見たような牛舎がありました。牛に手の指を噛まれた記憶が蘇りました。



今しか感じられない心があります。
今しか写せないことがあります。
そんなわけで、ちょっと、石巻に来てしまいます。




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2012年05月03日

被災地の復旧復興と故郷風景

今回の旅では、福島県の沿岸部も見てきました。
といっても目的は風景写真を撮ること。
わざわざ海際に出てみるようなことはしませんでした。
壊れたものや津波の跡にもカメラは向けませんでした。
民家や店の並ぶ国道沿いを走ってきただけですが
復旧復興への道のりは簡単じゃないだろうなあと感じました。
現実を目にしてきたので、自分でできることを
これから考えていこうと思います。

宮城県石巻市は、縁があり友人ができて去年の暮れから訪ねている場所です。
復興の手伝いができるようしていきたいと行動していますが
でも、実は、石巻は、私のすでに亡くなっている
おじいちゃん(父方)の本家がある場所でもあるんです。

福島県は、私の母の実家(福島市)や本家(二本松市)がある場所です。
そして、実は、私がこの世で最初に空気を吸い込んだ場所なんです。
母が里帰り出産だったので福島市内の病院で生れました。
出身地は福井県としていますが、出生地は福島県なんです。

それぞれの人が持っている故郷を思う心って大事ですよね。
私の場合、だから余計に、東北の被災地に関わっていきたいと強く思うのだと思います。
風景写真を通して表現していきたいと思っています。


八海山

先日の取材での新潟県南魚沼市の写真を紹介します。
食堂の背景は八海山です。
地元の多くの人に愛されている山です。


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2012年02月19日

石巻の冬風景


石巻

骨だけになった建物、なぎ倒されたままの木、更地になった大地、
東日本大震災後の復旧復興はまだまだで、
見て感じたことを全部を伝えることはできません。
見たことのないものも伝えられません。
だから、私の撮る写真は、テレビや新聞などと同じで一部の切り取りです。
伝えられることに偏りはあります。

けどね

人も自然も頑張っています。


そんなことを一番伝えてみたいです。

石巻

石巻

昨日と今日、宮城県石巻市で撮影しました。



写真:牡鹿半島/ヨシ刈り/サギ

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2012年02月16日

石巻に向かおうとしたけど

昨日に自宅を出発し東北自動車道へ向かいました。
しかし、高速道路に乗る直前に車のエンジン警告灯が点灯しました。
引き返し自宅近くのディーラーに診てもらいました。
実は、少し前に同じような症状が出たので前日にディーラーで直してもらったばかりでした。
整備の方の説明を聞くと、結局部品交換が必要との診断で、車は2泊の入院です。
旅先でこのようなアクシデントに見舞われるとストレスは物凄いものです。
自宅に戻れる場所でのことだったのでよかったと考えるようにしています。

今回は、宮城県石巻の冬景色の撮影を予定していました。
車が直ったら改めて向かおうと思います。


少し前に、Facebookを通して知ったWEBサイトを紹介します。

NATIONALPOST.COM (注:外国のサイトです)

東日本大震災から11ヵ月たった今と震災直後の写真がたくさん並んでいます。
英語の理解ができる方はぜひ文章も読んでみてください。
(私は読めませんが他の方から少し説明をしてもらいました)


画無しもなんですので
以前にもアップしている画像ですが、石巻の写真を1枚アップします。
昨年の12月に訪ねたときに写したものです。( →ブログ記事はこちら

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