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 HP「風景写真家 佐藤尚」 ひらめき


2014年10月23日

中越地震から10年


中越地震から10年です。
震災前から通っていた長岡市川口の木沢集落は見事に復興しています。
美しい景色、美しい人は、健在です。
撮影のためにたびたび訪れています。

アップ画像は、先週の
長岡市川口でのスナップ。
毎年この時期、震源地の新潟県長岡市川口の家々の外には黄色い旗が出ています。
旗に書かれたたくさんの感謝の言葉を目にし、
震災前から撮影したり震災後もボランティアとして訪ねたり、
その地に長く関わってきた者としてこみ上げてくるものがありました。


中越地震



2011年10月1日のブログに中越地震の記録を残しています。
駄文でございます。
ご興味がございましたらご高覧下さい。


地震発生の日の昼まで魚沼にいたこと。
震源地の木沢集落に食料を歩いてもっていったこと。
私を心配してくれ連絡をくれた先輩や友達のこと。
震災直後の写真数枚をアップ。

ブログ記事
http://satophoto.sblo.jp/article/48264804.html



今年、やはり縁があるのか
木沢集落を中心とした あるプロジェクト に関わらせていただきました。
一つは達成、もう一つは間もなく完成。
それらは、のちのちお知らせできると思います。




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2013年10月23日

中越地震から9年

2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した
中越地震から9年となります。
大事にしていた旧川口町の木沢集落に
地震発生直後に向かったことはよく覚えています。

助け合って励ましあって困難を乗り越えようとされていた方たちはお元気だろうか。
避難所で小さかった子供たちもずいぶんと大きくなっているんだろうな。
などと、木沢集落を訪れるたびに思ってきました。
今は、穏やかな山村集落の雰囲気が戻っています。

今、全国には、
災害により避難を余儀なくされておられる方たちがたくさんいらっしゃいます。
その皆さまが早く安心して暮らすことができるよう、いつも願っています。



中越地震

画像は、発生から二日後の朝、
木沢に歩いて向かう途中の崩壊した道路。
このような道を、食べ物を背負って2時間以上歩いて木沢集落に入りました。
木沢集落は道路が寸断されてしばらく孤立していた場所です
(けど自分達で道路を修復したからスゴイ)。
画像は、クリックで少し大きくなります。


よろしかったら、過去のブログ記事もご覧下さい。
記憶にとどめるためにそのときの行動を書いています。
また、多くは写さなかった写真の中から少しだけ他にもアップしています。

カテゴリ「中越地震」
http://satophoto.sblo.jp/category/43654-1.html




posted by satophoto at 11:36 | TrackBack(0) | 中越地震

2011年10月24日

中越地震から7年

今月初め、横浜で開催した
第7回中越蘖(ひこばえ)展2011 佐藤尚写真展「こころの故郷・魚沼」。
中越地震の風化を止め復興応援が目的でした。

産業会館サンプラザ

展示作品の一つ「信濃川の朝 小千谷市」はとても大きなパネルでした。
サイズは約170cm×140cm、絵画で言うと100号くらい。
その作品を新潟県の小千谷市総合産業会館サンプラザに寄贈しました。
少し前に展示したと連絡を受けました。
たくさんの方々に是非ご高覧いただきたいです。

昨日23日、新潟県中越地方の被災の中心、長岡市と小千谷市に
中越メモリアル回廊」の3施設・3メモリアルパークが誕生したようです。
記憶をとどめていくことは大切なことです。
そちらにも、写真で何かできたらと思っています。

東日本大震災では、今なお、普通の生活ができない方が多くいらっしゃいます。
被災地の1日も早い復旧と、皆さまに笑顔が戻ることをいつも祈っています。


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2011年10月01日

2004年発生の中越地震の記憶

中越地震発生の日の昼まで魚沼にいました。
発生時は福島県会津地方でした。
翌日の昼に魚沼に引き返しました。
震災から二日後の朝に被災地に入りました。

堀之内までは車で行けましたが、そこからは歩きです。
前日に群馬で、パン、バナナ、水、お菓子などの食料品を購入、
当日に、小出で新聞を購入、
それらをリックに背負って、
思い入れのあった川口町木沢集落に歩いて向かいました。

車であれば1分もかからないトンネルの向こう側までは山超えし1時間。
トンネルは崩落の危険があるとのことで通行できなかったのです。
集落までは、そこから1時間半ちかくだったでしょうか。
合計2時間以上かかりました。

歩いている間の、
激しい揺れの余震、遠くから聞こえる地鳴り、今でも身体が覚えています。

コンパクトカメラを持っていきました。
困っていらっしゃる人や倒壊した家屋には
カメラを向けないと決めていました。

その写真は、その後もずっとロッカーにしまったままでしたが、
今日から横浜で写真展なので、中越地震の記憶をつないでいくために、
ブログにアップします。

ちなみに、木沢集落は震度7を記録した震源地で、しばらく孤立した集落です。


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堀之内から川口へ抜ける国道17号の和名津トンネルの手前で通行止め

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和名津トンネルの向こう側は道路が寸断されたので車は放置

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木沢に向かう途中の道は至る場所が崩壊

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激しい揺れの証しでねぎが土から出ていた

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川口町役場前に避難された方たち

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ボランティアセンター設置される前の自衛隊による被災者食事支援

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救援物資が昼夜次から次へと運ばれてきた

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救援物資の仕分けは少しずつ集まってきたボランティアなどで

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崩壊の恐れが出た和名津トンネルが使えないので山越えの道は通行する人によりどんどん太くなっていった

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木沢集落の人々は集まって煮炊きしていた



木沢集落には2日間向かいました。
1日目は、食料や新聞を集落の方たちに届けたところ、
下の病院から薬をもらってきてほしいと頼まれたので、
町まで下りて2箇所の病院へ行き受け取って届けました。
2日目は、食料品以外に、
頼まれたタバコと退屈している子供達にと絵本やマンガを買って
前日と同じように山越えして向かいました。
集落の人たちに食料などを渡したあとは町へ下り病院へ行きました。
というのも、前日に訪ねた病院で診察室の片付けの手伝いを頼まれていたからです。
3日目、4日目は、町の社会福祉協議会での
救援物資の運び込みやボランティアセンター立ち上げ設置の手伝いをしました。


連日、トンネルの上の山越えをしましたが、向こうとこっちで
被害が全く違うことに驚きました。

木沢集落の人たちは、
自分達で水道を引き、道を直し、
みんな集まって煮炊きをしていました。
重機を動かす燃料と壊れた場所の保護のためのブルーシートを
とにかく欲しがっていました。
自分達でできることはして直していく覚悟があったんですね。
とても強いんです。

訪ねた2日目に、朝ごはんをご馳走になりましたがおいしかった。
新米と食用菊のおひたし(もってのほか)が、忘れられません。


地震発生当時に、私が魚沼にいるのではと
先輩や友達から電話やメールをいただきました。
心配して連絡くれた方たちの “励まし” は、今でも忘れていません。


取材の途中で寄ったのですが、
たった四日間でクタクタになりました。
その後、季節を変えて2回ボランティアに行きました。


今日から、神奈川県横浜市で写真展です。

第7回 中越蘖(ひこばえ)展 2011
佐藤尚 写真展「こころの故郷・魚沼の風景を撮る」。


皆様、お待ちしております。



タグ:中越地震
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2010年10月19日

中越地震から6年

中越地震

まもなく23日が中越地震の日です。
6年前になるんですね、ずいぶん経ちました。
震災のあった昼までは魚沼にいました。
地震の起きた時刻は福島県会津地方を運転中でした…。
記憶はまだ鮮明です。

今日、夕方に魚沼に入りました。
たまたま、新潟県長岡市、旧川口町を通ると黄色い旗がいっぱい。
一つ一つにメッセージが書き込まれていました。
それらの言葉に触れ胸が熱くなりました。

イベントが毎年あるそうです。
準備している方たちが教えてくれました。

中越地震 中越地震
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2009年10月23日

中越地震から5年

img20091023a.jpg

中越地震から5年経ちました。
被災地の方たちが早くお元気になれますように。
今回の取材の中から写真を出してみます。
気持ちが伝わるといいな。
長野県より。

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2007年07月17日

新潟県中越沖地震

親子

新潟県や長野県での被災された方々に心からお見舞い申し上げます。
次々に大きな被害が伝わってきていますが何もできません。
少しでも早く落ち着いて生活できるようになることを祈るばかりです。

不安を言葉に出来ないでいる小さな子供たちのそばに
親がいてあげられる時間が増えることを願って、
今回の取材で青森県で撮影したものをアップします。

早く元気に走り回れるようになりますよう。
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2006年10月23日

中越地震から2年

震災直後は、
国道17号の和南津トンネルが崩壊の恐れありで通行できず、
皆、徒歩で30分ほどかかるトンネルの迂回路を利用していた。
杉林の中に続く山道しか
川口町と隣町の魚沼市旧堀之内町を結ぶルートはなかったのだ。

昼でも薄暗く、雨後にはぐちゃぐちゃとなる道だった。

魚沼市旧堀之内町に食料や生活用品を買い求めに行く人。
川口町や小千谷市に親類知人を見舞って物資を運ぶ人。
走行中に大地震に会い被災地に置いてきた車を取りに行く人。
大きな石油ストーブを背中に背負っている人もいた。

すれ違う人々は情報を交換し、それぞれ励ましあっていた。
人々の往来により、日に日に道は太くなっていった。

私も、何日もその道を通った。


新潟日報の記事を見て当事のことを思い出す。

和南津
(リコーGR1v ベルビア)
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2005年10月23日

中越地震から1年

昨年に起きた新潟県中越地震の発生時は福島県会津地方にいたが
その日の昼までは新潟県魚沼市で取材をしていた。
幸い難から逃れられた形だが
夜中はテレビ電波の届くところで車を停めてニュースを見続け
何が出来るだろうと考えていた。
テレビでは、長岡市、小千谷市、十日町市などの被害が報道され
今後は人手が必要になると伝えていた。
だから、行ったからといって何ができるかわからなかったけど
翌日から被災地に向かうことにした。
数日間だけのボランティア活動。

行く先々での「ありがとう」という言葉は忘れられない。

一方、地震発生からいくつも携帯電話に電話やメールをもらった。
いずれの方からも私の安否を気遣っていただいたもので
暖かい言葉に胸が熱くなり勇気がわいたものだ。
おかげで被災地で強い気持ちでお手伝いができたと思っている。
一つ一つ励ましの言葉を忘れていない。
電話やメールをくれた方々へ…。

その時は、本当にありがとうございました。

昨年の10月23日からちょうど1年たった。
これから出来ることは何だろうと考えている。
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2005年10月15日

まもなく中越地震から1年

昼過ぎから川口町の木沢集落に行った。
木沢集落は魚沼取材を始めた頃に集中的に通っていた場所だ。
震災後は近くを通るたびに様子を見に立ち寄ってきたが
今回は今まで入れなかった所に入れるようだったので
気になっていた棚田の状況を見てきた。

とは言っても集落近くに車を置いての徒歩である。
よく知っている方の田んぼには稲の切り株があり
近くのハザ場には刈り取った稲が干されていて
今年に稲作が出来た事を知りとてもうれしかった。
けど、付近の棚田には休んだ田んぼも多く混在していて
しかも、崩れて棚田の原型をとどめていない所もあり複雑な心境だった。

景色を眺めながら、1年前の事を思い出してみた。

昨年の震災後に歩いて木沢集落に向かった時に
誰もいない道路で聞こえてくるのはドーンという地鳴りだけ。

しかし、今日は鳥や虫の声が聞こえてきて
震災は過去のものかと気持ちが安らいだ。
とは言うものの、収穫を終えた静かな田んぼから見える景色は
崩れた土砂の茶色、ビニールシートの青色
遠く旧山古志村で工事している車両など
震災前と大きく違っていた。
集落内には
壊れたままの小屋、空き地になっている所、新しく建てている家。
集落に至る道路では工事が続いている。

まもなく、大震災から1年を向かえる。
川口町では、蒼丘の杜公園にて
震災1周年の前日22日に
300人による人文字で全国に向けてメッセージを送るらしい。
それぞれの1年間の想いが込められる。

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2005年07月27日

中越地震からの復興

レストラン「みはらし」は、新潟県川口町の国道17号線沿い坂の途中にあり、魚沼取材中にはよく食事をしていた。
昨年、中越地震発生直後に川口町を訪ねた時は、店の前には大きな亀裂が入っていてマスターはお店で片付けをしていた。
震災のお見舞いの言葉を伝えると、建物は大丈夫だったが地盤の悪い場所なのでその後の余震を心配していた。
しかも、山の上にあるホテルが崩れ落ちてくる危険も発生し、住民の方々に避難命令も出ていたので奥さんもすごく不安なご様子だった。
しかし、今年6月に17号を通った時、店が営業していたのでうれしかった。
今日の昼食時に行ってみると、5月に開店したそうで、二人とも働く顔が輝いていた。

窓の外を眺めながら、日替わり定食をいただいた。
今日の魚野川は濁っていた。
昨年の10月21日、大地震発生の2日前のことだが、台風23号により増水し氾濫した信濃川の写真を撮りにきて、同じ席で昼食を食べたことを思い出した。
あの、豪雨が地震の被害を大きくしたのだろうと感じている。

また、川口町にある蒼丘の杜公園では「震度7写真展」が開催中で、川口町の震災の記録が展示されており、子供達の書いた作文には胸が熱くなった。
いたる所で、道路工事は続き、壊れた家屋が残る町並みだが、新築の家があちらこちら建てられて、復興は少しずつ進んでいるように見えた。
日帰り温泉施設「和楽美の湯」も、7月23日に営業再開されたようだ。
人々の生活が元のようになっていくことを願っている。
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2005年02月06日

川口町復興ボランティアセンター

新潟県中越地震の被災地では、現在、川口町だけが県外ボランティアの受け入れをしている。
日本各地から老若男女いろいろな人たちが、被災地支援のために川口町復興ボランティアセンターに集まってきている。
震災直後から長く活動している人、少し時間ができてやってくる人、中には仕事をやめてくる人もいるようだ。
現在の活動は除雪が主で、個人宅や仮設住宅を回っている。

私は、先月下旬から新潟県などに雪の撮影に出ていたが、中越地震の被災地でも19年ぶりの大雪との報道で、取材の帰りに川口町に寄ってくることにした。
川口町の道路のわきには3メートルを超える巨大な雪壁ができていた。
2階建て民家の屋根に積もった雪は、地面に降り積もった雪とつながっていて、まさに町は雪に埋もれていたという感じだった。

私自身の活動は2日間だけで、ボランティアの4〜5人と一組となって、5軒の民家の雪掘りをしてきた。
スコップやスノーダンプで積もった雪をどかし、頼まれたお宅の2階部分の窓を出すという、とてもきつい肉体作業だった。
慣れない作業でもあり、くたくたになったが、とてもいい汗をかかせてもらったと思っている。
スノーダンプの扱いがちょっとうまくなったのが、かなりの収穫。
また、初対面同士の作業でありながら、長期滞在のボランティアスタッフのリーダーシップにより、役割分担が明確で、作業がやりやすく気持ちがよかった。
それぞれの力の結集による、目的の達成感や充実感も感じることもできた。

魚沼地方は日本有数の豪雪地帯である。
被災地に限らず、まだまだ、雪は降り続いている。
暮らしている人々は連日の除雪作業で、くたくただろう。
早く、降り止んでほしいものだ。

ちなみに、帰宅してからかみさんが「やせたんじゃない?」と。
ものすごい汗のかき方で、自然とダイエット(?)できたようだ。
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2004年12月01日

新潟県中越地震

11月末に、新潟県川口町の山間地集落・木沢を訪ねた。
中越地震で最も震源に近かった地域だ。
以前から知っている農家の方に会えて、話ができた。
その方の棚田は業者に頼めば直るようだが、ひびが入っている池を心配していた。
地区最上段の棚田なので、その池、水源がなければ、田んぼが続けられないからだ。
来春、雪解けの時に棚田全部が崩れるんじゃかいかとも心配していた。
今は避難所暮しで、近々、仮設住宅に引っ越しするそうだ。
そして、家は雪の降る前に壊すそうだ。
「柱は真っすぐなのに…」と諦めきれないようだった。
家の裏の地盤がよくないらしい。
笑顔で話されていたけど、目がうるんでいた。
ずっと頑張ってきたご様子が伺えた。
最近の報道では復興の兆しが伝えられているが、報道されているのは一部なんだと思う。
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2004年10月30日

新潟県中越地震

昨晩、約2週間の取材旅行から戻った。
しかし、天候が安定せず派手な紅葉にも出会うことができず、あまり成果の上がらない撮影取材だった…

23日には新潟県中越地方で、大地震が発生した。
大切に撮影してきた場所なので、2日後には被災地に入り少しだけお手伝いをしてきた。
現地での撮影で知り合った人も多く住んでいるので心配だ。
今なお余震が続き、たくさんの方が避難されている。
一日も早く、普通の生活に戻れることを強く祈っている。
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